Nikon D7200 TAMRON AF 17-50mm F2.8
青森市。
青森ねぶたといえば坂上田村麻呂であるが、これはどうやら武田信玄である。
ところで、東北の民にとっては征服者である坂上田村麻呂が、ねぶたで英雄視されているのは不思議である。今住んでいる方々は征服した側の子孫だから、ということになるからだろうか。オセロゲームのように単純に勢力図が塗り替わったわけではないだろうけど。
ちなみにいえば、坂上田村麻呂が「平定」したのは岩手県の胆沢地方までで、青森までは来ていない。もちろん、さらについでにいえば、武田信玄も青森まではやってきていない。
「田村麻呂はいまの岩手県の志波・胆沢の線を攻撃の終末点とした。あとは守りをかためた。いずれ後世、津軽が西方の文明をよしとするにちがいなく、それを待てばいいのである。おかげで津軽人が、いまも田村麻呂を大きな絵灯籠にして練り歩くということになったかと思われる」
(司馬遼太郎著「街道をゆく 北のまほろば」より)
なるほど。
田村麻呂とは関係ないが、なぜか西宮にある「武田信玄の墓」は
これ。