OLYMPUS STYLUS 1
堤防を上ると、かつてはすぐ目の前に海が広がっていた。なにひとつ遮るものもなく。僕は子供の頃、夏になれば毎日のようにそこで泳いでいた。海も好きだったし、泳ぐのも好きだった。魚釣りもした。毎日犬をつれて散歩をした。ただそこに座ってじっとしているのが好きだった。夜中に家を抜け出して友だちと一緒に海岸へ行って、流木をあつめて焚き火をした。海の匂いや、遠くから聞こえてくる海鳴りの音や、海の運んでくるものが好きだった。
(中略)
堤防の向う側、かつて香櫨園の海水浴場があったあたりは、まわりを埋め立てられて、こじんまりとした入り江(あるいは池)のようになっている。そこでは一群のウィンドサーファーたちが風をつかまえようと努力している。そのすぐ西側に見えるかつての芦屋の浜には、高層アパートがモノリスの群れのようにのっぺりと建ち並んでいる。
(村上春樹著「神戸まで歩く」より)
村上春樹氏、ノーベル文学賞受賞ならず。という毎年恒例となった感のあるニュースに接して(インターネットのライブ中継で発表を見てたのだけど)、思い出したように氏の短編集「辺境・近境」を再読。その中の一編「神戸まで歩く」にならって、本日、自分も芦屋から西宮の夙川あたりを歩いてきた。もちろん、歩くのはとっくに見慣れた風景の中ばかりだ。
しかしその風景は、村上氏が過ごした子供の頃とは大きく違っている。村上氏にとって、
湘南の海の方が強く故郷を思い出させてくれる、というのも無理はない。西宮や芦屋から見る海は、海であって海ではない、という感が自分にもある。
それでもこの浜は阪神間に残された貴重な自然の海浜である。
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