MINOLTA α-9xi
昨日、富士のことを書いて思い出したことが。
深田久弥著「日本百名山」によると、松本市のある小学校の校長は、いつも窓から外を指して「常念を見よ」というのが口癖だったそうである。
常念とはもちろん常念岳のことで、北アルプスの連峰の中にあって独特の三角錐の形を保つ、存在感のある山である。槍や穂高と違い、安曇野と呼ばれる麓からも容易にそれとわかる。
多くの人との関わりの中にあってなお、高い気位を保てとか、孤高であれとか、誇りを持てとか、そんな意味のことを伝えるのであれば、その例としては独立峰の富士よりも常念の方がふさわしい、といえるかもしれない。
富士はその形が美しいばかりでなく、周囲の山に比べあまりに抜きんでた高峰であるがゆえに日本の象徴となったが(その高さは2位の北岳と比べても抜きんでている)、もし日本に富士がなければ常念が象徴になっていた可能性もなくはないかと思える。
ウェストンが常念に登ったのは明治27年だったそうだが、自分が登ったのは平成6年のこと。これはもうどちらも歴史上の出来事である。
写真はそのとき撮ったもの。