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2013年 08月 16日
旅の記憶 途切れた線路
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旅の記憶 途切れた線路_c0181552_8561550.jpg

OLYMPUS PEN E-P3 OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL 9-18mm F4.0-5.6

青森市。

自分が最後に青函連絡船に乗ったのは1987年の夏。青函トンネルの利用開始と連絡船の廃止がその翌年春で、「青函連絡船最後の夏」というキャンペーンをやっていたときであった。
たまたま秋田へ出張で行くことがあったので、仕事が終わった後その足で青森にやってきて、青函連絡船に乗って函館へ行き、1泊だけして、また青函連絡船で戻ってきたのであった。

そういえば、そのときの函館は祭りもあったのか、けっこうな賑わいで、観光案内所で今夜の宿があるか尋ねると、「どこも一杯」との返事。
さて、どうするか、と駅前で思案していると、「安い宿があるよ」とちょっと怪しげなおじさんに声をかけられ、駅近くの小さな民宿で泊まった。思えば一昔前までは、観光地の駅には宿の客引きがいて、そうして泊まるところを決めるのはよくあったのだ。

そのときに、青森だったか函館だったか、連絡船と駅を結ぶ通路の窓から、連絡船に貨物列車を積み込んでいるところを写真に撮ったのを、これを書いてて思い出した。早速、古いアルバムを引っぱり出して見れば、写っている連絡船の船体に八甲田丸の文字を読み取ることができた。自分が最後に乗った青函連絡船は、どうやらこの八甲田丸であったらしい。
八甲田丸も線路の一部も、今もこうして残されてはいるものの、しかし、あの日眺めていた、貨物列車が船内に吸い込まれる光景はもう記憶の中にしかない。

ちなみに、1987年夏に青森で撮った写真の1枚がこれ
アスパムとかいう、おにぎりみたいな三角形のビル(青森県の物産館)が、この時既に建っていることにあらためてちょっと感心。今回、このビルの中に初めて入ったが、いかにもバブルの遺産(いい意味でなく)という印象であった。



by tajiri8jp | 2013-08-16 21:23 | OLYMPUS PEN E-P3 | Comments(6)
Commented by speedstar-dhy at 2013-08-16 21:44
こんばんは。
フィルム写真でたどる記憶、いいですね。
デジタルだとこうはいかないように思います。
Commented by H.O at 2013-08-17 04:53 x
いいお話ですね~Tajiさん。
今回は、函館までは行かれなかったのですか?^^
Commented by tajiri8jp at 2013-08-17 06:45
speedstar-dhy さま 
おはようございます。
デジタルになって、写真をアルバムに貼って残すというのも減っているでしょうしね。
何十年か後に今の写真(デジタル画像)を簡単に見ることができるかは、けっこう怪しいと思います。
Commented by tajiri8jp at 2013-08-17 06:47
H.O さま 
できれば函館にも行きたかったのですが、下北半島だけで3泊してしまいましたし、日程的に難しそうなのであきらめました。
来年、函館に行ってそこから船で津軽半島の大間へ行こうかと妻と話しております。
Commented by keizo-f at 2013-08-17 13:29
東北の列車と瀬戸内晴美の関係は分かりませんが、
演歌に新幹線は似合わんですな、やっぱり。
Commented by tajiri8jp at 2013-08-17 16:00
keizo-fさま 
以前の記事から削除してしまいましたが、「寝台特急日本海」という曲の歌詞に瀬戸内晴美が登場するのであります。
次の記事でリンクを張ろうと思います。
演歌には新幹線ではなく夜行列車でしょうね、やはり(笑)。
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