OLYMPUS PEN E-P3 OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL 9-18mm F4.0-5.6
青森市。
自分が最後に青函連絡船に乗ったのは1987年の夏。青函トンネルの利用開始と連絡船の廃止がその翌年春で、「青函連絡船最後の夏」というキャンペーンをやっていたときであった。
たまたま秋田へ出張で行くことがあったので、仕事が終わった後その足で青森にやってきて、青函連絡船に乗って函館へ行き、1泊だけして、また青函連絡船で戻ってきたのであった。
そういえば、そのときの函館は祭りもあったのか、けっこうな賑わいで、観光案内所で今夜の宿があるか尋ねると、「どこも一杯」との返事。
さて、どうするか、と駅前で思案していると、「安い宿があるよ」とちょっと怪しげなおじさんに声をかけられ、駅近くの小さな民宿で泊まった。思えば一昔前までは、観光地の駅には宿の客引きがいて、そうして泊まるところを決めるのはよくあったのだ。
そのときに、青森だったか函館だったか、連絡船と駅を結ぶ通路の窓から、連絡船に貨物列車を積み込んでいるところを写真に撮ったのを、これを書いてて思い出した。早速、古いアルバムを引っぱり出して見れば、写っている連絡船の船体に八甲田丸の文字を読み取ることができた。自分が最後に乗った青函連絡船は、どうやらこの八甲田丸であったらしい。
八甲田丸も線路の一部も、今もこうして残されてはいるものの、しかし、あの日眺めていた、貨物列車が船内に吸い込まれる光景はもう記憶の中にしかない。
ちなみに、1987年夏に青森で撮った写真の1枚が
これ。
アスパムとかいう、おにぎりみたいな三角形のビル(青森県の物産館)が、この時既に建っていることにあらためてちょっと感心。今回、このビルの中に初めて入ったが、いかにもバブルの遺産(いい意味でなく)という印象であった。