Leica M2 SUPER-WIDE HELIAR 15mm F4.5
Wikipediaの「今日は何の日」によると、1575年6月29日(旧暦5月21日)は、長篠の戦いがあった日らしい。
長篠の戦いといえば、今も覚えているのが新田次郎著「武田勝頼」の単行本の帯にあった宣伝文句。
「設楽原に展開する織田徳川連合軍3万5千。決戦を挑む無敵の武田軍1万5千!」
(覚えているといいながら微妙に違ってるかもしれないが)
実は学生時代から戦国の武将では武田信玄が好きで、新田次郎の「武田信玄」と「武田勝頼」の2作品は血湧き肉躍らせながら読んだのである。
長篠の戦いでは、ご承知のとおり、織田徳川連合軍が設楽原に馬防柵というのを設け、鉄砲を持って待ちかまえているところに騎馬武者を突撃させたということで、武田勝頼は通説ではほとんどバカ者扱いされている(新田次郎は、勝頼は愚将ではなかったという立場で描いているが)。
クロサワ映画の「影武者」でも、父である信玄の死が公のものになって、その偉大な親父を乗り越えようてみせようとする勝頼の意地のようなもので有能な武将を次々と突撃させる、という描き方になっていた。
しかしいくら何でもそんな無謀な戦い方をするかなあ、という思いがあるのだが、一方で、日露戦争での二百三高地の戦い方を見るとそういうこともあるか、と思ったりもする。
もちろん今となっては歴史の謎で、真相はわからない。
写真は神戸市の兵庫区。
実は先日、空き地に張り巡らされたこの柵を見て、これは長篠の戦いの馬防柵かいな、と思いつつ歩いたのだった。
その時代に針金やら有刺鉄線なんてあるわけないが、あれば陣地を作るのが簡単だったろうなあ、とこれを見ながらそうも思ったのであった。